以前ピアノで弾けた曲が、弾けなくなってしまったとき

2024年04月12日

懸命に練習すると、大抵の曲は弾けるようになる。問題はそれを維持することの方で、これが非常に大変だ。子どもから大人まで、あんなに頑張って練習して上手く弾けていた曲が、もう弾けなくなってしまった、という話を聞く。先生はどうして何でも弾けるんですか、と質問されるが、こちらだってコンチェルトレベルのものが何でも弾ける訳ではなく、難易度の極めて高い曲であれば、生徒同様、弾いてなければ時間と共に弾けなくなってしまう。

でも、例え弾けなくなってしまったとしても、それが無駄になってしまったということはなく、むしろそれが音楽を演奏する素晴らしさと考えたらどうかと思う。そもそも時間芸術は、完全な再現は不可能で、一回一回が二度と出来ない特別なものだ。時間の不可逆性について考える機会など、普段の生活でそう多くはないが、音楽を演奏するとき、1秒1秒が特別なものに感じられる。音楽が時間に価値を与えると言ってもいいかもしれない。

完全に同様の再現が不可能だからこそ、その時間が価値を持つ。毎回変化するからこそ、魅力がある。弾けたものが弾けなくなってしまった、これは悔しい状況ではあるけれど、音楽は物として残すものではなく、時間に埋め込まれ、形を持たない類のものなので、自然なことなのだ。

例えば旅行に行ってすごく楽しい時間を過ごしても、やがて旅行は終わってしまう。しかし、どうせすぐ終わってしまうのだから行くだけ無駄だと考えたりはしないと思う。人生の時間の中で特別な輝きを持った時間として思い出され、写真を見たり、語り合ったりしながら、生涯その旅行に想いを馳せる度、豊かな感覚になる。

音楽の演奏も同じように、やがて終わり、曲も演奏出来なくなってしまうかもしれないが、費やした多くの時間が、価値あるものとして残る。録音、録画することも簡単なので、旅行写真を眺めながら思い出に浸るように、聴きながらその経験を思い起こすことも可能だ。

だから、頑張って練習したのにもう出来なくなってしまったと嘆かなくても良いのではないかと思う。音楽は儚く、繊細で、壊れやすい。だからこそ魅力的なのだ。

そうは言っても、一度弾けた曲はずっと維持したいと考えるのは当然かと思うので、後半は、ピアノで習得した曲をいかに維持するか、実際的な練習法を書いてみる。

まず、完成を目指し練習するより、維持するためにする練習の方が、つまらなく、苦痛で、忍耐が要求されるということを覚えておく。練習している間は、日々上達し、それに伴い、モチベーションが上がる。この時が一番楽しい。また、練習すればするだけ成果に表れるので、苦にならない。

しかし、一旦完成したと感じた瞬間から、これが微妙に変化してくる。既に弾けるものを、わざわざゆっくり丁寧に確認するのは面倒だし、出来ているものを左右分解したり、アーティキュレーションを再考したり、几帳面にやり直したりする気には、なかなかなれない。完成はダメになる第一歩だと、誰かが言っていたが、その通りかと思う。これを避けるには、決して完成とは考えないことが有効かもしれない。自分の音に対して常に粗探しをし、満足しない。練習と同じスタンスで取り組み続ける、という姿勢だ。ただし、言うは易しだ。

出来ることならたくさんの楽曲を弾いてみたい、と思う人は多いはずで、ずっと同じ曲ばかり徹底して弾いていたら、他の曲を始める時間もなくなってしまう。なので、現実的には、限られた時間で、いかにその完成レベルを維持するか、という問題になる。

ひとつは、ひたすらゆっくり丁寧に弾くという方法。有名ピアニストの部屋を弟子が訪ねたら、あまりにもゆっくり弾いていたので、何の曲かわからなかったという逸話がある。本人曰く、本番だけ速く弾けば良い。これは大袈裟だとしても、かなり効果的であることは間違いない。速く弾いて細部が疎かになっていくのは、曲が弾けなくなる最も典型的なパターンだからだ。

せっかく猛練習し、in tempoで気持ちよく弾けるようになったものをゆっくり弾いても、ちっとも面白くはない。集中力ばかり取られ、楽しさは得られない。でも、崩壊して弾けなくなるのを避けるためには、有効な方法だ。毎日そんなことはやっていられないと思うなら、その曲の中でもとりわけ技巧的に難しく、苦労する部分だけでもやると良いかと思う。一曲通して弾く代わりに、幾つかの難しい部分を日替わりで、最大限の集中力と共にゆっくり確認する。これを1週間で一回りするくらいなら、毎日通しで一回弾くのと、時間的にも同じくらいだろう。週末にだけ、演奏会気分で弾いてみる。

そんなことをしたら、一曲通して格好良く弾けなくなってしまうと思われるかもしれない。しかし、毎日in tempo で無意識に弾き続けるより、はるかに維持出来る。誤魔化しなく、きっちり練習していれば、毎日最初から最後まで弾かずとも、そう簡単に感覚は失われない。崩壊が始まるのは、むしろ細部の方だ。例えば、複雑な運指を使う3度の連続、複数の声部からなる対位法の部分、左手の込み入ったアルペジオなど。人間の身体は、より楽をするように出来ているので、技巧的な部分は意識して復習し続けないと、いつの間にか、全体はなんとなく弾けても細部がぐちゃぐちゃ、ということになってしまう。

もうひとつは、左手の意識的な復習だ。テクニック的には、左利きの人は当てはまらないかもしれない。しかし、聴覚的な部分では共通ではないかと思う。右がメロディを担当する曲が多いので、両手でのみ弾いていると、どうしても脇役としてのサポートが多い左に、意識がいかなくなってしまう。暗譜の場合、急に飛びやすくなる。左だけ弾いても、少しも楽しくはないかもしれないが、これも完成したものを保つために有効な方法。

また、左だけ取り出してみると、全体の影に隠れて見えなかった思わぬ構造を発見することもあり、そこまでつまらないものでもない。(近現代の楽曲で、左右入り乱れた運指を使うものは、変に分解されないよう、工夫して取り出す必要がある。)

最後に、一度崩壊が始まったと感じたら、諦めて、最初のステップから丁寧にやり直すことだ。この時、少し弾いていれば元に戻るだろうと、完成していた頃の勢いのまま弾き続けると、いよいよ修復不可能になってしまう。一度完成したものは、同様に完成可能である。しかし音楽は繊細なので、崩壊と共に、ばらばらになったピースの形が変形し、再度同じように組み立てようとしても元の形には戻らない。

全体的に雑になり、誤魔化しでなんとか弾いている状態になったら、初めてその曲に取り組んだ時と同じステップからもう一度やり直す。新しくピースを作り直し、ぴったり組み合わせる作業が必要だ。遠回りに聞こえるかもしれないが、この方が短時間で、且つ、より崩壊しにくい新しい完成が得られる。

音楽の素敵なところは、壊れやすく繊細でありながら、何度でも別の形を与え続けることが出来ること。そのしなやかさ、力強さ、伸びやかさだ。

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