時間に価値を与えるため音楽を演奏する

2024年09月28日

音楽を演奏する動機は様々あると思うが、そのひとつが、時間に価値を与えることではないかと思う。演奏しているときの1分は、日常生活の他の1分とは、時間感覚が全く違う。それは時間芸術のなせる技でもあり、何者にも邪魔されない集中の中にいるときの、特別な感覚でもある。

音楽は形を持たないからこそ生き延びる。

特にクラシック音楽は何百年もの歳月を生き延び、数知れない人々によって、幾万回となく演奏されてきたものだ。過去の歴史に刻まれた時間と同じものを、今この瞬間に再現する神秘性。何度も繰り返されながら、ひとつとして同じものは存在せず、一瞬のうちに消えてしまいながら、記憶の中に永続する。

演奏は、何気なく流れていく日常の時間を捕らえ、息を吹き込み、その瞬間に価値を与えるものだ。捉えどころがなく、姿も見えず、すり抜けてゆく時間を、可視化するような行為だ。時間が不可逆的なものである以上、放たれた音楽も一瞬で散り、後には何も残らない。それでいて、人の思考回路を変えてしまうほどの影響力を持つ。

これが、良くも悪くも、歴史の中で音楽が利用されてきた理由だろう。独裁者たちが音楽を味方につけて勢力を拡大したのは、その圧倒的な力を知っていたからだ。芸術が政治に利用されるのは不本意だが、この儚く、繊細な時間芸術が、誰も無視できないほどの力を持っている証拠でもある。

一瞬で消え、二度と同じものは再現出来ず、目に見えるものは何も残らない。時間と空間に溶け込み、記憶の中に留まり、形を残さず存在する。だからこそ、音楽はどこにでも持ち運べ、時間を超越して受け継がれ、多分、有史以来、人間と共にあったのだ。

演奏はものすごく個人的な行為であるけれども、無数の時間と繋がり、過去と未来が交差する瞬間だ。その一瞬一瞬に価値を与える。時間と共に生き死ぬという、わざわざ意識しないようなことを、一曲の中で体感する。曲が終わりに差し掛かるにつれ、ひとつのかけがえのない時間が過ぎ去ろうとしているのだ、と意識される。

哲学や科学は時間を研究対象としたが、音楽はそれに色彩を与えた。見えないからこそ、色褪せない芸術を作り出した。形はなくとも、その色彩は人生を彩り続ける。人を慰め、活力を与え、たちどころに消えてしまいながら、終わった後も生き続ける。

誰も時間に逆らって生きることは出来ない。貨幣を始め、人間が作り出した価値は無数にあるので、時間に価値を与えるという必然性を感じることは、日常ではないかもしれない。しかし、不意に自分の残り時間が意識されたとき、時間が愛おしくなり、その一瞬一瞬に、精一杯の価値を与えたくなるはずだ。

音楽は、この一瞬を記憶の中に永続させようと試みる。時間に特別な価値を与え、その愛おしさを讃えるために。

音楽サロン Musicafé
札幌市清田区 ピアノ教室
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