忘れたと思っても身体が覚えている

2026年01月10日

子ども時代ピアノなどの楽器を習って、その後数十年触れることなく、何十年ぶりかで再開した人はたくさんいる。もう何も覚えていない、ブランクがあり過ぎて弾ける気がしない、そもそも真面目に練習する生徒じゃなかったし、と仰る方々も多いが、驚きの速度で回復し、瞬く間に上達していく。記憶というのは不思議で、奥底に眠っていたものが、身体を動かし始めると同時に目覚め、復元され再び進化するらしいと、確信するようになった。実は忘れてしまったという認識の方が錯覚で、一度取り出しさえすれば、そのやり方は覚えている、ということなのだと思う。

この辺りを、他の動作技能の記憶と比較しつつ、科学的実験や研究など参考にして、思うことを書いてみる。

最初に、楽器や音楽とは関係なく、個人的体験として思い出すことがある。もう何十年も連立方程式など接点なく生きていて、解の公式とはなんじゃ?という状態にもかかわらず、一旦鉛筆を持って解き始めると、その数字が何を表すのかさっぱりわからないのに、答えまで終了してしまった。これは頭だけで思い出そうとしても、何ひとつ引っ張り出せない。おそらく中高生のとき、散々手で書きまくったため、その手の動きと連動して、無意識に次の作業へ移れるのだ。それに従っていくと、何故か解けてしまうという不思議。頭ではなく手が作業を覚えていて、その動きから記憶が呼び覚まされ、次のステップへ自動的に流れていく感じだ。身体を使って作業するからこそ、こんなふうに記憶が復活するのだろう。

楽器演奏に何十年もブランクがあっても、一旦再開すれば驚くほど身体が覚えているというのは、これと同じ原理なのではないかと思う。

運動技能の記憶は、いわゆる手続き記憶である。頭で意識せずとも、その動作をやり始めれば、手順など考えず、身体が勝手に動く。よく例に挙がるのが水泳や自転車などだが、スポーツ、楽器演奏、字を書くこと、定型的な計算をすることなども同様だ。小中学生の頃必死に書き取りさせられた漢字は、いくら手で書く機会が少なくなったとはいえ、書き始めれば大体の造りは思い出せる。さすがに2,000字以上も、頭だけで書き順や形を記憶している訳ではないはずだ。手が動きを知っているのだ。動作性の高い記憶に支えられているからこそ、書けるのだろう。

ピアノにおいては、まさに手が再生する。楽譜を読むための細かい規則や指の動かし方を、頭では何も覚えていないと思っていても、前に座って手を乗せ、ちょっと指を動かしてみれば、その先は手が知っている。最初の瞬間は、何十年ぶりかに自転車に乗ったときのようにおぼつかないかもしれない。しかし、ひとまず音を鳴らし、進行を指に任せれば、その動きは無意識の中に眠っていただけで、決して忘れた訳ではないということがわかると思う。

ある実験によると、2ヶ月間両手のポリリズム課題を練習した人々は、6ヶ月後、そして8年後でさえも、かなりの部分保持していたという。そればかりでなく、その人自身のスタイルのようなものまで、8年後に再現されていたという。つまり一度身体に染み込んだ動きというものは、非常に長い期間保持されるらしいのだ。子ども時代にピアノを習う場合、短くても数年程度は通うだろうから、その動きが簡単に、そっくり抜けて無くなってしまうなどということはないはずだ。

手続き記憶は、その行動をやり始めると出てくる記憶とも言える。ということは関節とか筋肉の中に、動作が記憶がされているのだろうか。そういうことでもないらしい。この動作の自動化は、運動前野、小脳、基底核といった領域が関与するらしいが、自分には専門外過ぎて詳細は理解不能だ。ただ、複雑な運動技能の保持に関わる脳の可塑性のメカニズムは、まだ十分解明されている訳ではないらしい。ある実験によれば、運動技能の学習と定着には、脳の運動学習に関わる領域で、ある種のタンパク質変化や、神経回路変化が起こり、それが保持されているらしい。つまり、身体で記憶している動作とは言え、脳も勿論関与しており、双方が一体となって、手続き記憶といわれるようなネットワークが保持されているということなのだ。

環境や動作は、脳に刺激を与えるための、一種のトリガーということだろう。鉛筆を持って書き始めると、頭では意味不明だと思っていた方程式が解けてしまう。手を鍵盤の上に置くと、何も覚えていないと思っていた楽譜が弾けてしまう。水に落ちれば勝手に泳ぎ出す。つまり、その記憶が必要とされる環境に飛び込んで、最初の一歩を踏み出さないと、その「思い出し方を思い出せない」ということなのだ。だからとりあえずやってみるしかない。少々危険が伴う行為なら、熟練者やインストラクターに付添ってもらえば良いし、最初の一歩に自信がなければ、どんな分野にも頼れる指導者はいる。

楽器習得に関連して、他にも面白い実験がある。実際に練習・演奏せずとも、聴いただけでも演奏の精度が向上するらしい。動作を伴わなくとも、神経系がその動きを活性化出来るということらしい。一旦身体で覚えてしまった技能は、視覚や聴覚など、他の刺激を通しても再構築出来るということだ。スポーツ選手などは、これを効果的に練習に組み込んでいるような気がする。本番前、ひたすら聴くことに集中している奏者を見たことが何度もあるが、その効果を経験上知っているのだと思う。何十年も楽器演奏から遠ざかっていた人でも、昔練習した曲をなんとなく聴き、無意識に、身体の中で動きが再生されていたのかもしれない。

次は、再学習が何故速い速度で進むかという点を考えてみる。ブランクの後再開するというのは、一度学習した運動技能を再構築するということだ。その際、完全にゼロから始めることにならないのは、動作の習得が、少なくとも半自動化している段階から始められるためだ。

運動学習の3段階モデルというのがある。第一段階は「認知段階」で、意識して動作を考える段階。ピアノでいうと、ひとつひとつ、鍵盤の場所や使う指など注意深く確認しながら、頭を使いまくって、ぎこちなく指を動かす段階だ。第二段階は「連合段階」で、動きがつながり、無意識に動く部分が増える。ピアノで言えば、単純な音型なら鍵盤を見ずに弾けるようになり、運指と楽譜がスムーズに連携されていくような段階と言えそうだ。第三段階の「自動化段階」まで達すると、動作は自然と無意識のうちに行われる。ピアノならば、弾いていても、動きのために頭を使っているという感覚がなくなる。まさに手が勝手に動くという状態だ。

再開したとき、いくらブランクがあったとは言え、ほとんどの場合「連合段階」辺り以上からの開始だと思われる。これは以前に第二、第三段階を経験しているから、無意識に出来る動作が既に多くあるということだ。よく弾き込んだ曲であれば、「自動化段階」で保持されているかもしれない。経験者に相当なアドバンテージがあるのは、この辺が関係しているように思う。だから本人が考えている以上に、技術はスムーズに回復する。

さらに、一度習った動作を再学習する際、大人の方がより速く進む、という研究結果もあるのだ。これが楽器演奏にそのまま当てはまるかどうか定かではないが、可能性はある。これは、思春期までは完全に発達しない能力が関係しているらしい。論理的思考と関係があるのだろうか。

これは経験上の想像だが、子どもは真似るのが上手い。ただし、それはそのまま真似るという意味で、理詰めで考え動作を試行錯誤するという感じではない。一方大人になると、自分がやりたい動きを一旦咀嚼して、自身の身体に合うよう微調整しているように思う。やはり人間は、体格に様々な違いがあるので、必ずしも全く同じ動きが最適とは限らない。だから、この微調整能力を備えた大人は、昔学習した動作を、現在の身体に上手く合わせ、適切に再現出来るのではないかと思うのである。

こんなふうに、長いブランク後に再開した大人の方々が、驚きのスピードで回復し、上達を続ける理由を説明してみた。思うのは、やはり楽器演奏に限った実験や研究が少な過ぎて、他の研究から推察するしかないということだ。楽器演奏というのは、何か直接的に社会活動に役立つような種類の行為ではないから、わざわざ調べようとする研究者もいないのだろう。

とりあえず、どれだけブランクがあろうと、楽器の場合、眠った記憶を呼び覚すのは想像するよりずっと簡単であるということを納得してもらい、気軽に再開して楽しむ人が増えれば幸いである。そのためにこれを書いた。

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